こぼしうた

徒然なるままに書き留め

2024年

 

久しぶりにブログを書いてみようと思ったのは、懐かしい ざわめき が戻ってきつつあると感じたからだ。

 

今月いっぱいで、同僚の女の子が退社する。食に関心のある彼女は、若いうちに自分の好きなことに時間を使いたいと思ったのだと、ほろ酔いで語ってくれた。

来月いっぱいで、上司のお姉さんが退社する。実家のご両親の体調が思わしくなく、生活のサポートをするそうだ。春の午後の陽だまりのような笑顔を浮かべる、大好きな人だ。

引っ越してからずっとお世話になっていた洋服のお直し屋さんが、去年の暮れにひっそりと店を閉めていた。愛想はない、職人気質で格好良いおばあさんだった。本当はもっと、なんでもないことを話してみたかったなあと、ガランとした店を見つめて思った。

私の祖父は2人共、今年で88歳。米寿を迎える。母方のおばあちゃんは、去年の大晦日に初めて てんかん を発症した。もう1人では自由に歩けない。

5つ下の妹が、今年の春、大学を卒業する。引っ越しをして、社会人になる。

幼馴染が、再来月に結婚する。友人代表のスピーチを任された。ふとした瞬間にそれを思い出しては、練習したり、文章を直したりして緊張している。

 

今日買い物の途中で、そういった色々なことが頭の中を横切っては、戻ってきてを繰り返し、立ち止まって、しばらく動けなくなった。

大事なことが一気に訪れる時ってあるよね。そういう時に限って、あんまり余裕はないのが人生って感じだ。

店の隅で、ただ呼吸をするだけの生き物。胸が圧迫されるような、なんだか泣きそうで、でも涙は出なくて、ただただ薄い呼吸を繰り返す。

 

これから春が来るのだと思った。ザワメキを感じ、そう思った。そういえば、元々私はこういう人間だった。

日常の些細な出来事にいちいち心を囚われては、哀しくなったり、寂しくなったり、虚しくなったり忙しい。また嬉しいこと楽しいことは、泣きたくなるほど愛おしく感じ、一人でいるときに繰り返し記憶を再生しては、力を込めて抱きしめる。

もしかしたらコロナが関係していたのかもしれないけれど、ここ数年は、なんだか自分の大事な核が居亡くなってしまったような、感情が希釈されて変に大人になったような、落ち着かない心地だった。

久しぶりにTwitterで呟いてみたら、やっと歩き出せて、とりあえず買い物を済ませてから、今久しぶりにブログを開いてみている。

去年は、昔の自分を拾い集めるみたいな一年だった。そしてそれは、今も続いている。私はこれからも、自分の面倒な部分を殺さず、逆に認めて、凝縮して、歌や物語などへ形を変えて、世の中へ放り投げてみようと思っている。